もっぱら親友とNについて。
チェレンが主人公に挑み、勝利を得ようともがくことで彼がはかっていたのは、チェレン自身の位置であり、強さ。彼は主人公を己の鏡として必要としていたけれど、それは正直誰でもかまわなかった(例:ジムリとバッチ。彼にとっては犯罪集団もある意味経験値という徹底っぷり。いや、いい子だよ)。その上で彼は同じ点から出発したはずの自分の分身に敗れ、その代替、サポートとしてヒーローの座を明け渡すことを強要され、もがいた末に納得する。強さがあれば、すべてを守れると思ってたんだ…親友の宿命だよね。だからチェレンはライバルじゃない気が…いやでも今までのライバルの扱いを考えたらなぁ。よくリーグ抜けてきたと思うよ。
主人公以外には負けない天才。あるいみN側の理想の体現者だったのかも。やってることは真逆だけど。らいばる。
ベルは強要された未来を受容しかけていたものの、そのなかから自らに多数の分岐点が用意されており、また心地の良い友人達の庇護、親の監督下から逃れることで、視野を広げることに成功した。ココでようやく、選択の自由というか、存在を知るんだと思う。だから、ベルはまだ一歩を踏み出したところ。二人に対して遅れはとってるものの、自らの選択肢を狭めて狭めて、ストイックにしていたチェレンとは真逆の位置にあるのに割と強いって何事。こいつ将来大物になるよ
その中で、Nは主人公を、カノコタウンの気の知れた友人でも、有名な博士の秘蔵っ子(を預けられた紐付きの子供)でもなく、一番最初に、本当の個人として認めてくれた相手。たぶんNが主人公にあったのが、Nが街にでて、愛されているトレーナーポケモンにあった最初の日だと思うんだけど。ポケモントレーナーの子として生まれながら、人以外の誰とも関わらず、親密で暖かさしかない環境に生まれた主人公、それに託された、ポケモンスペシャリストの手の内にあったポケモン。たぶんパートナーは主人公の護衛役だから、ポケモンが人を守り、救おうとする意志を持ってたと思う。そこにNは衝撃を受けたんじゃないかなぁ。アニポケ1話並のなんだかんだがないとそんな隣町に行っただけで信頼関係なんてできないと思うし。Nは人間からポケモンを守る意志を植え付けられた存在で、パートナーはポケモンから主人を守る指名を与えられた存在。うん、最初はNは主人公のことを意識していない。ポケモンしか信じないからだ。
そのうちに、脳天気に親の言うことを聞いて、大人になるべく定められた旅路を行く主人公自身に、Nの興味はシフトしてくんだけど…ゲーチスは、主人公とベルとチェレンを三人とも調べ上げてた。駒としてプラズマ団に引き入れたいなっていう意識もあっただろうけど、Nが主人公に執着することを快く思ってなかったんだから、三人を調べたのはNの号令と考えるのが妥当なんじゃないかな。つまり、3人ともがNにとっての最初の衝撃。その後、一番自分の対等な存在として、主人公を選び取った。
どうしてだろう。
チェレンは強さに固執しすぎ、ベルは二人に適わないという悲しい真実をこっそり秘めて自分探しで精一杯。まあそんなあたりの説明があったけど、積極的に主人公を選ぶ理由がないと、そんな自分を縛っていた父親に反発する理由になるのかよ、と。ある意味駒として育てられてきたんやぞ…
あ、あの戴冠式のシーンは結構印象的だよね。王に冠をかぶせる教皇のゲーチス。王を選ぶ唯一の権力を持ち、王に勝るのはそれ以上の存在である、神様。王権神授説だけど、舞台がニューヨークっていうのが若干ビミョーではある。でも日本でやるよりは自然だ。あの時点でゲーチスが組織的にか精神的にか、Nより上位の存在であることは示唆されてた。ただし小物っぽさがすごかったのでラスボスにまでなるとはおもわんかった。サカキ様呼んでこい
まあ、理由としては「主人公だから」というのが一番あり得るんじゃなかろうか。
Nが固執していた「英雄」は、そのまま「ヒーロー」に訳されるとすると。彼はヒーローになることを存在理由に生かされていた。彼はヒーローであり、ヒーローであることを切望していた。でも、ゲームの常として、意志を持ち、名前と性格、自らの言葉を与えられたキャラクターは、他のプレイヤーの介入を許されない。二次創作でもない限り。シロガネ山のレッドさんみたいに喋らない非操作キャラもいるし、逆にプレイヤーキャラがCVつきで喋るゲームも珍しくないけど。
そして、目の前に何者にも染まりうる、どんなポケモンにも愛される可能性を持ち、どんなリーグの頂点にも立ちうる可能性をもち、そして無条件でヒーロー=主人公=英雄と呼ばれる存在が現れる。あ、ポケモンって、画面の中央に主人公が据えられて、周りの画面が流れていくゲームだよね。世界の中心。存在しているだけで自分の根幹を揺るがす相手。運命の相手じゃなくてなんだというのだ。
その中で嫉妬でも何でもなく。こっちを回復してくれてバトルを挑み、どちらがよりヒーローに相応しいか、対等であることにひどく固執しながらぶつかってきたNのことを、私はなんだか哀しくて愛おしいやつだなあと、思うんである。
それで、自分の考えを曲げ、こっちを肯定する成長賛歌の言葉を本心からかゲーフリにいわされたのかやけっぱちになったのか、投げかけ、大人になってしまったこちらのさしのべた手を振り払い… 私はあいつ身投げしたと思ってる。
ハルモニアの名前を持つあいつはもう一人の英雄、選ばれなかった主人公、ヒーローになり損ねた名前を与えられなかったライバル。主人公がゲームをクリアしたなら、用意した舞台で敗れるならば、取り込まれて消えるしかない。
ゼクロムとレシラムが別れている以上、BWというソフトが二本ある以上、二人は手を取り合うことはないんだよね。
こんなにポケモンシリーズが2本に別れていることが意識されたさくひんは無いと思うんだよ。作品を完結させるなら、両方をプレイして、あっちがわとこっちがわから、Nを二回殺すしかない。でも、画面の向こうで殺されているのは、他でもないもう一人の私。
だから、この作品でグレーがでるときは、ゼクロムとレシラムが一つに戻るときだし、完璧な英雄が生まれるときだし、Nがようやく観念して、もしくは私たちがやつのピュアでイノセントなところに降伏して、理想が真実に追いつくときだ
でもこの感想だと、「親に仕組まれた旅路」、「ポケモンと旅をすることが子供が大人になるための通過儀礼」、「青年Nと男の子、女の子である主人公」、主張される「他人の意見を受容することで大人として生きていける」ということ、「旅に出たこと後悔している?(子供でいられなくした私を恨んでいる?という深読みはできませんか)」などの成長物語、子供時代との決別(=をNとの別れと読むのも)と自立、みたいなあれやこれがうまく説明付かないんだよ! とりあえずキノの旅の一巻とカルマ聞いときゃいいとおもうよ…もう…あとサガフロの
ブルー編。
Nと主人公の平行世界同一人物説、兄弟説、Nと主人公の存在までアララギ博士の計画のうち説に嫌悪感を抱かない人はちょっと妄想がたりにつきあってほしいなぁ。
大人には負けず主人公にしか負けないのはNも同じか。結局、自分しか自分を変えられない。
うん。
あの世界は、平行世界を許容するんだ。
つまり、他のソフトの主人公をさ!
バトルしようぜ!
カウントしたら3000字あった(笑 これはひどい